ここのところ時々暖かい日がありますが、まだもうしばらくは寒さが続きますね。春が待ち遠しいものです。
ところで、春になると、暖かさに朝の布団も気持ちよくて、もう少しうとうとしたいと思ったりしますね(春だけじゃなくてもいつも? 笑)
そんな > 春の朝、起きられないのを
『春眠暁を覚えず』って言うんですよね? あれ?違ったかな?
ということで、このことわざの意味を調べてみました。
ちょっと興味深かったのは、言葉の元は一つ、中国の古い詩なのですが、意味の解釈には3つの説があったことです。私なりの感想を加えつつ、3つの説をご紹介します。
この言葉の元の詩とは?
これは、中国の唐(盛唐時代/712年〜756年)の時代に活躍した詩人の孟浩然(もうこうぜん、またはもうこうねん/689年〜740年)の詩の一節です。
原文はこうです。
現代語訳を書くと・・・
春眠暁を覚えず
〜春の眠りは朝が来たのもわからない
処処啼鳥を聞く
〜今はあちこちから鳥のさえずりが聞こえる
夜来風雨の声
〜きのう夜中には雨風の音がよく聞こえていたけど
花落ちること知る多少
〜花もどれだけ落ちてしまったことだろうなぁ
「暁(あかつき)」は、夜明け、明け方
「処処」はあちらこちら
「夜来」は昨夜
「知多少」は、どのくらいだろうか というような意味です。
この言葉にある3つの説
それでは3つの説です。
1つ目の説
1行目を「春の朝は心地よいので、つい寝坊をしてしまって、夜が明けるのがわからなかった」と解釈します。
鳥もさえずり、つい寝坊しちゃったけど、春の朝はいいもんだな。
訳は私流で恐縮ですが、そんな春の朝のぽかぽかした風景と、作者の喜びを表現した詩とされています。
一般的に言われているのはこれ↓ですよね。
2つ目の説
もう一つ。1行目の「夜明けがわからなかった」理由を
「夜中の雨や風が激しく、せっかくの花が散ってしまうのではないかと心配していたから」
と解釈する説がありました。
これだと様子が一変しますね。
という感じかと思います。
春の喜びというより、作者の心配している様子、あるいは花がかわいそうという気持ちを強く感じます。
3つ目の説
1行目の読み方にもうひとつありました。
冬から春にかけ、日の出が早くなってきます。冬の日に比べると、同時刻でも気がついたらずっと高く太陽があがっている、ということはあります。「あっ!寝過ごした!」って思ってもまだそんな時間でなかったということもあるでしょう。
(日の出の時刻の関係で)「冬と同じ時刻に目覚めても、春はもう日の出が過ぎてしまっているんだな」
というような解釈です。
といった感じでしょうか。
ちょっと「夜明けの時間の話」と「風雨で花が散る話」が結びつかないような気がしますね。
暖かくて寝坊しちゃったという「1つ目の説1」
夜中の風雨や花の散るのが気になってという「2つ目の説」
夜明けの時間が変わるという「3つ目の説」
さてさて、作者・孟浩然の本当の意図はどうなのか・・・。
まとめ
いろいろ考えましたが、古い言葉ですし、今後も解釈が決まることはないのかなと思います。
でも、それも昔の詩を味わうポイントです。あなた自身が孟浩然になったつもりで「きっとこうだろう」と想像すると楽しいと思います。
この詩は短い中に、雨や風、花、鳥といろいろなものが出てきて、そのシーンが目に浮かんできます。
風景描写がとても巧みだったと言われる孟浩然。他の詩も味わってみたくなりました。(^^)
朝が眠い春でも、すっきり目覚めるための方法をまとめました。よろしかったらご覧ください。
コメント