「VAN」とか「アイビー」「アイビールック」と聞いて、あぁ懐かしいな、と思われるのは60代以上の方かもしれませんね。
後述しますが、アメリカの学生が好んで着ていた伝統的なかっちりしたファッション、「トラッド」とも言っていましたが、そういうファッションが1960年代を中心に、時代を席巻しました。
私自身、VANやアイビーが流行したのは小学生くらいの時で、覚えていますが実際に自分がそれを着ていた世代よりはちょっと下です。ですが、あの頃のなんというか、時代の変化にわくわくするというか、きらめくような雰囲気は確かに記憶にあります。
「平凡パンチ」という男性週刊誌が時代を引っ張っていました。そこにしばしば掲載されていたのがVANとJUNという2大ファッショントレンドでした。
ファッションが他のいろいろなことを引っ張り、なにか時代が大きく変わっていくうねりを感じました。
そしてVANの総帥である石津謙介さんは、間違いなく時代の寵児であったと思います。
なんとその20年後に、私は石津謙介さんと同じフロアで仕事をするという夢のような状況になったのですが、この記事では石津さんのことを思い出しつつ、当時のファッションや石津さんのことを少し書いてみたいと思います。
日本のアイビールック爆発の立役者、石津謙介さん
60年代半ば、日本にアイビールックを紹介したのが「 VAN(ヴァンジャケット)」の故・石津謙介さんです。
冒頭にも書きましたが、石津さんの会社「VAN」が提唱していたのは、「アイビールック」というアメリカの学生のファッションを元にしたシンプルな服装でした。
なで肩のジャケット、細身のズボン、あるいは短パン、チェック柄、ボタンダウンのシャツ、靴はローファー、そしてさりげない小物。清潔感のあるそのファッションは、当時の日本の学生を中心にファッションを席巻しました。
かたや、ヨーロッパの柔らかくドレッシーな雰囲気のある「 JUN 」とともに当時の若者のファッションを二分しました。
もしかしたらアイビールックを提唱していたのは他のファッションメーカーもあったかもしれませんが、やはりなんといっても「VAN」の力が大きかったと思います。
アイビールックは男性トラッドファッションの定番だった
アイビールックはそもそも1954年にアメリカ東海岸でのハーバード大学、プリンストン大学など8校でフットボール連盟が結成されたことに由来します。
当時、大学の校舎には蔦(=アイビー)が生い茂っていてそれがシンボルともなっていたことから、そのフットボール連盟は「アイビーリーグ」と呼ばれるようになったそうです。
そしてその学生たちが、短髪に、ジャケット、ボタンダウンのシャツやポロシャツ、チノパンというスタイルを好んで着ていたので、そのファッションが「アイビールック」と名付けられました。
有名なBrooks Brothersは典型的なアイビールックのブランドですし、一時期大いに茶の間を笑わせてくれたMrビーンのあのファッションもアイビールックですね。
日本でのブームは1960年半ばから70年代にかけてですが、正統派の定番ファッションとして歴史に輝いています。
近年はまたその魅力が再認識されているとも聞きます。
私は年代的には少し下ですが、雑誌などにもしばしば特集され「 VAN 」の紙袋を持って歩くのが流行ったりというのを憶えています。
私の中の石津謙介さん
「VAN」の石津謙介さん、というのは幼い自分の中に、ファッションが時代を作るというものを感じさせてもらった初めての人だったと思います。
実は私自身はあまりアイビー系のトラッドファッションはしなかった方なのですが、ファッションイラストレーションなどを学んだので、やはり石津さんの存在は自分の中で一つの大きなものであったと思います。
縁あって石津さんと同じフロアで仕事をすることに・・・
石津さんの「 VAN 」は惜しまれながら1978年に解散となりました。(1980年に、社員OBなどにより株式会社ヴァンヂャケットが復活しましたが)
私は1980年頃から、東京・六本木の某広告代理店の制作部でデザイナーとして働くようになりました。
そして私が働いて2年くらい経った頃だったでしょうか。その会社の社長が、「今度ここの一部をこの人の事務所にするから」と言われて紹介されたのが、なんと石津謙介さんでした!これは事実です。
それからしばらくの間、石津さんと同じフロアで仕事をさせていただきました。
とはいえ、大きなフロアで距離もありましたし、そもそも恐れ多いですし、直接お話したという記憶はあまりありません。
それにしても、あの、一世を風靡した “ファッションリーダー” 石津謙介さんと、同じフロアで働き、たまに声を掛けていただいたりした経験は、とても幸せなことでした。
「体を服に合わせなさい」石津さんの教え
その頃、石津謙介さんがよくおっしゃっていたことで私が覚えているのが
「体を服に合わせなさい」ということです。
もちろん、「 VAN 」が体に合わない服を提供していたわけではないし、無理して合わない服を着なさいという言葉でもありません。
自らの体型に気をつけなさい。
体も心もいつもきちんとしていなさい。
心のゆるみは体に出ますよ。
きっとそういう意味だったと思います。
石津さんは小柄な方でしたが、シュッとした細身のきれいな体型で、お歳を召してもいつも背筋を伸ばして凛とされていました。
ストレッチ系・ゆる系のパンツはありかなしか・・?
男性でも女性でも、ストレッチ素材やウエストがゴムのスラックスやスカートを穿いてはよくないといいますね。
今の私・・・穿いてます(笑)(^^;
今までストレッチ素材のものは全く着ませんでしたが、2、3年前、初めてウエストがゴムのスラックスとストレッチ素材のジーパンを買いました。
いや、そりゃもう、楽で楽で(笑)
ですが・・・
ほどなく、体重も増えてきました(>_<)。 ほんとに、石津さんがおっしゃるとおりです。
もちろん服が楽というのはいいことですが、それが気持ちのゆるみにつながるのは良いことではありません。そして気持ちの緩みは生活の緩みにつながってくるものです。
20代の頃の体重が本来あるべき自分の体重といいます。
とすれば今の自分は・・・(汗)(-_-;)
石津さんを思い出し、今思うこと
石津さんは、今風の長身ですらっとしたタイプの人ではありませんでしたが、「ダンディ」という言葉はこの人のためにあるのでは、と思えるような、本当におしゃれでカッコいい人でした。
あまりお話をすることはありませんでしたが、いつも穏やかでにこやかな方でした。
ですがその笑顔の裏に、自分を律する強い意志があったのだろうと思います。
石津さんの言葉を思い出すたびに、冷や汗が出る思いです。気をつけなくては・・・。
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